« 13 クリック募金にご協力ください/メールマガジン51号 | メイン | 2 被災地域の支援拠点・物資保管先(3月25日現在)/メールマガジン52号 »

1 東北地方太平洋沖地震での支援活動について途中経過のご報告/メールマガジン52号

1、東北地方太平洋沖地震での支援活動について途中経過のご報告
                     事務局長 中西里映子

11日の発災時、栗木・青木両理事と中西は、新潟アレルギー大学の打ち合わせで新潟市役所におりました。
鉄道は停止し、青木理事と私が名古屋に帰宅したのは二日後。

3/11の夜10時過ぎには、アレルギーっ子の親から最初のSOSが入りました。「たすけてください。子どもの食べるものがありません」と。
翌日には、名古屋の事務所に救援本部を立ち上げ、栗木・青木・中西の不在の中、浜松よりスタッフの足代、事務局スタッフの鹿嶌・丹羽・森が集合しました。PHSの携帯電話が威力を発揮して、電話でやりとりをしながら支援体制を整えて行きました。
またmixiとtwitterを通して、寺倉・丸山が「被災地でアレルギー対応ミルクや食品がなくてお困りのかた、ご連絡ください」との旨を広報しました。
メールや電話が不通でもネット接続には不便が生じなかったため、多くのお問合せがmixiとtwitterに寄せられました。被災地のアレルギーっ子の親やその親類から悲痛な叫びのようなメッセージも多く、胸がしめつけられる思いがしました。

栗木理事は、新潟からそのまま、賛助会員のエコライス新潟さんとともに、アルファー食品さんのアレルギー対応のアルファ米や水、石井食品さんの非常食などを積んで、福島経由で仙台に入りました。
仙台には、ヘルシーハットさんという、アレルギー対応の食品店も経営しつつ、患者の会としても活動を長くしているところがあり無事が確認されましたので、そこを拠点に翌日、岩手県盛岡市にあるアレルギーっ子の会へ物資を届け、次に防災に取り組むNPOレスキューストックヤードさんのつてで、福島県福島市にある社会福祉協議会に物資を届け、以上3県3箇所に物資の拠点を作り、新潟経由で名古屋にもどってきました。

その後、被災地から20件以上のSOSが入り、上記3つの拠点や現地の自治体、アレルギーの会全国連絡会の方などと連絡をとりあい、その都度試行錯誤で対処をしてきました。
最初は現地との電話がつながらず、ずいぶんともどかしい思い、不安な思いをしましたが、現在はSOS発信の患者さんたちとスムースに連絡がとれ、その後のフォローをしているところです。

第二便は3/20に名古屋出発。栗木理事は、物資を運ぶ車つきで岡崎からかけつけてくれたボランティアドライバーさんの運転で、再び新潟経由、山形から仙台へ。
そのドライバーさんはそこまでしか時間がとれず、急きょ交渉したボランティアさんは、茨城から仙台へ駆け付けてくれて合流。この方は、発災後いち早く「ドライバーします」と手を挙げてくれていた、アレルギー児を持つ若いお父さんでした。
こうして次の日は盛岡を拠点に、盛岡のアレルギーっ子の会員さんを中心としたボランティアさん10人とともに手分けして、宮古市・釜石市・大船渡市・陸前高田市などの情報収集をしつつ、物資の拠点をつくりました。
翌日は、仙台での活動をしました。
みやぎ仙台ボランティアNPOセンター、消防学校(名古屋市に拠出をお願いしたアレルギー用アルファ化米7700食が、担当者のミスで一般物資として消防学校へいき行方不明に。その捜索にいきました。)
そして宮城県立子ども病院の三浦先生と、被災地のアレルギー児への支援をするための医師や私どものような支援団体とネットワークを作る打ち合せをして、新潟に戻りました。
翌日は、東京で途中下車をして、厚生労働省疾病対策室のアレルギー担当に申し入れをし、名古屋にもどるという強行スケジュールの栗木理事でした。

詳細は、HPに掲載いたしますが、被災地はとてつもなく広く、津波がひいたままの状態で、物資を一方的に送りつけても、拠点からアレルギーの被災者にお届けする手段がまだない状況であること。
避難所には子どもの姿が少ないため、すでに疎開をしているのでは・・・だとすると、疎開先である、被災地の周りの県や市町に住むアレルギー患者の支援が必要では。
などの事項がスタッフに対して報告がありました。

マスコミの取材もとても多く、栗木理事はその対応にも追われています。中日新聞・朝日新聞・読売新聞・日本経済新聞に私共の活動が掲載されました。またNHKは、ずっと張り付いて取材を続けています。

26日・27日のアレルギーっ子フェアが終われば、日本小児アレルギー学会や患者団体、防災ボランティア団体、自治体などと連携して、今後、被災されたアレルギー患者をどのように支援していくかの具体的な対策をたてていくことになるかと思います。

最後になりますが、皆さまにお願いです。この活動に対する支援金の募集に、どうか手をかしてください。

阪神淡路大震災の時には、当時のアレルギー関係支援4団体
が行った支援に1000万円程度の費用が必要でした。
これは現地の支援の拠点である、お届け隊「高槻グループ」に関わる費用も含めてです。

今回はその時よりさらに大規模災害なので、それ以上の費用がかかると思われます。
発災後今日までで、物資やその運搬の費用、通信費だけでも200万円を超える費用がかかっています。また今後、被災地にいくのに、一回につき50-100万円の費用がかかります。
皆さまのご支援をどうぞよろしくお願いいたします。
http://www.alle-net.com/bousai/touhoku_taiheiyo.html#gien

(義援金とは、最終的に、都道府県が設置する、義援金配分委員会によって、
被災者に配分されるお金のことを指します。とのことでしたので、私達の活動に対する支援という意味で「支援金」にいたしました。)

事務所にも、10人を超えるボランティアさんが、手伝いにきてくれています。毎日、ボランティアの皆さんの温かい気持ちに包まれ、心より感謝申し上げます。
また支援協力お願いに対して多くのご協力を頂き大変感謝申し上げます。
少しでも子どもたちを励ますことができればと思います。

※詳しい活動経過はこちらからご覧ください。
http://www.alle-net.com/bousai/touhoku_taiheiyo-katu1103.html


About

2011年03月31日 22:07に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「13 クリック募金にご協力ください/メールマガジン51号」です。

次の投稿は「2 被災地域の支援拠点・物資保管先(3月25日現在)/メールマガジン52号」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。