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4 アレルギー科医師「リレートーク」第6回/メールマガジン91号

 皆様はじめまして。あいち小児保健医療総合センターアレルギー科で研修3年目を迎えた中川朋子です。出身は広島県です。広島大学の小児科に所属しており、アレルギーの勉強のため当初2年間という約束で広島を出させて頂きました。(?・・・すでに1年延びていますが・・・)

 あいち小児の「リレートーク」も6回目となり、先生方がいろいろとアレルギーに関するお話をされているため、何をネタにしたらよいかとかなり悩みました。そこで、今回は「どうしてアレルギーの先生になったの?」と、子ども達によく聞かれるのでそのことについてお話しようと思います。

 今は週に1回、テニスをするくらい元気ですが、子どもの頃は小児ぜんそくがありとても病弱でした。現在のように吸入ステロイド薬が一般的ではなく、季節の変わり目になると発作が起き、冬は冷たい空気を吸わないようにといつもマスクをさせられ、体育もマット運動は発作が起きるからと見学でした。学校ではお昼休みに上半身裸になり、喘息の子ども達が集まって乾布摩擦をする・・・すごい時代でした。

夜中に発作で眠れない時には、なんで自分だけこんな辛い思いをしなければいけないのだろうと思っていました。そんな私に母は「変わってあげられたらいいのに」といつも言ってくれていました。アレルギー症状で苦しい時に、そばに誰かがいてくれる安心感をとても感じました。それもあり、今は自分が診療の中で患者さんに「頑張ってね」ではなく、「一緒に頑張ろうね」と伝えるようにしています。

核家族が増え、子どもだけでなくお母さん達も相談する相手がいなくて辛い思いをされている方が多いのではないでしょうか。話を聞くことしかできないかもしれませんが、少しでも心の支えになれればと思いながら日々の診療をしています。アレルギーの子ども達は元気な時は普通の子ども達と変わらないですが、「喘息発作や食物アレルギーの症状が起きたらどうしよう」といつも心の中では怯えていると思います。だから、自分の経験を通して患者さんの心に寄り添って、人のためになることがやりたいと思い医師となり、子どもが好きなので小児科医となり、自分の経験や日々の食事に直結する食物に関する仕事がやりたくてアレルギー科に進んできました。

 アレルギーの子ども達が自分もアレルギーの先生になりたいと言ってくれることがあります。是非、夢を諦めずに頑張ってください。目標を持てば夢は必ず叶っていきます。いつか一緒に働けると嬉しいなって思っています。(ただ、私がかなりのおばあさんになっている可能性はありますが・・・)

 最後になりましたが、広島の名菓と言えば「もみじまんじゅう」ですが、先日帰省した際に広島では有名なもみじまんじゅう屋さんから、アレルギー対応のもみじまんじゅうが発売されたことを聞き試食してみました。通常のもみじまんじゅうに引けを取らない美味しさでした。こうやって少しでも多くの方にアレルギーについて知って頂き、知識を持って子ども達を見守ってくれる社会ができていくことは素敵ですよね。
これからも私にできることで子ども達の成長を見守っていきたいと思います。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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2014年06月29日 17:43に投稿されたエントリーのページです。

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