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2 東日本大震災に対する支援活動のご報告 (1) 事務局での支援/メールマガジン55号

(1)事務局での支援
 ―6月災害支援活動報告―   鶴田亜津佐

災害発生直後からアレルギー支援活動の内容は刻々と変化しており、時には涙を流しながら相談を受け、支援物資を調整し、宅配ルートを確立してきました。今回は名古屋事務局からこの3ヶ月間の支援方法の移り変わりと新たな取り組みを報告したいと思います。
これまで私たちは二つの供給ルートを組んできました。ひとつは、物資拠点として被災地の患者会、市役所の保健福祉課や避難所、ボランティアセンターにアレルギー対応食べ物や物資を配置する方法で、もうひとつは直接患者からの連絡を受けてボランティアの手や宅配で直接届ける方法です。また、今月から新たに保育園や給食センターなども対象に大口の支援や参考資料の配布も開始しました。
まず、一つ目の物資拠点での方法は6月に入り徐々に縮小しています。それは被災地では仮設住宅への入居が進むに伴い避難所などの緊急支援ボランティアセンターが活動を終了しているからです。今後の生活支援については物資を常備するのではなく、物資が必要な方現地支援団体を介し個別支援を行っていきます。
次に、二つ目のルートである個別支援活動は件数の変動が激しいです。理由はメディアによる支援活動の情報発信です。これが効果的な時期になり、また放送のタイミング次第で支援要請が一気に増えるからです。その一例が5月24日の宮城TVの特集で、放送後数日間は今までにない数の個別支援依頼が入りました(数日間で13件)。それ以外ではある程度生活環境が平常化しつつある被災地からの支援要請の件数は減少傾向ではあります。
ですので、5月以降の具体的な支援については、仮設住宅のテレビでアレルギー支援があることを知った方や今まで集団生活で支援依頼を自粛していた方々からの支援要請が大半でした。同時に今も孤立した地区の避難所で初めて私たちの支援活動を知り、この3ヶ月間、白米と限られたおかずのみで避難生活を送っていた方もいらっしゃいました。もっと早く私たちの支援活動について知ってもらえていたら・・・と悔やむばかりです。
また、宮城県や岩手県からの個別支援は減少しつつも、福島県は原発問題で先が見えずに、二次、三次避難などをしている方もおり、その都度生活環境に応じた支援が必要になってきます。名古屋事務所では個別支援活動の継続はもちろん、6月から新たな取り組みとして今まで支援した方に現状確認をし、必要であれば追加支援にも対応しています。今のところは、ほとんどの方が現在は追加支援不要で元気に生活をされているので一安心しているところです。
(余談ではありますが、4月上旬にマスメディアを通じ支援活動窓口について大々的に告知した「アレルギー110番」の際には数件の問い合わせのみだった理由が、やはりその時点ではまだメディアからの情報が受け取れる状況でなかったのだとはっきりしました。また、震災から3ヵ月経った今、メディアが効果的な手段になったということは、どれだけ今回の震災が大規模なものなのかを証明しています。)
そして、支援活動の中で今回改めて実感したのが、支援活動情報の発信とアレルギー患者の所在の把握の難しさです。この課題を克服するために、新たな取り組みとして「防災セット」を本メルマガで案内していますので、是非ご覧ください。
最後に、個別支援とは別の新たな3つ目の支援体制として今月からは給食センターや保育園などを対象とした大口の支援も開始しました。必要な支援物資とともに、アレルギーを正しく理解してもらうための資料の支援を岩手県内の保育園など約15か所に行いました。
今後も名古屋事務所では現地支援活動の後方業務と個別支援活動を行っていきます。今後とも皆様のご支援、よろしくお願いします。

別途グラフ資料

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2011年07月01日 05:18に投稿されたエントリーのページです。

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