2007年4月15日(日)の昼に、三重県中部を震源とする地震がおきました。 折しも、午後一時半から「東海アレルギー連絡会」の定例会を開催する日で、東海4県のアレルギーの会が、主に東海・東南海地震に対する防災対策を話し合うために、名古屋に向かっている最中でした。
三重県からは、津市・鈴鹿市・四日市市・桑名市の会の代表者が向かっていましたが、地震直後、東名阪道や近鉄電車、犬山方面からの名鉄電車も一時ストップしたものの、皆さん、少しの遅刻で無事に到着することができました。
定例会の最中に、自分の会の連絡網で、会員の安否確認をされていました。すぐに返信がなかった会員さんも、当日の夜まで、又は翌日にはほとんど連絡がとれたようで、被害にあわれた方はいらっしゃらなかったようです。ホッとしました。
アレルギーっ子の防災・救援ネットワーク開発スタッフのひとりから、「東海・東南海地震は絶対にくるから、早く早く準備をしなさい」と言われているようだね。という発言がありましたが、本当にしっかり対策をたてておかないと・・・と、また気が引き締まりました。
以下、三重県の会から寄せられました報告など、皆さんの参考になりそうな部分をピックアップして掲載をさせていただきます。
(鈴鹿の会より)
鈴鹿では1回目の揺れの直後から携帯メールにて(電話、携帯からの電話はさすがに通じませんでした)会員からの安否確認をしましたが、特 に大きな被災はなかったようでした。ちなみに伊勢のアレ会の方からも連絡があり、大丈夫だったようです。ただ、鈴鹿での被害というなら、一部の地域で赤水 がでたようです。
(津市の会より)
皆さん、壁紙が破れた、物がおちた、冷蔵庫が10センチ移動した程度の被害ですまれたようです。子どもの話によると、学校はガラスが割れたりしていたそうです。 震源地の亀山の会員さんは、揺れはひどかったそうですが、被害はなかったようです。
今まで連絡をすべてファックスか郵送で送っていましたが、普段からメールでやりとりする必要性を感じました。 また、もっとひどい地震で、安否確認をする必要が生じ、連絡がつかない人がいた場合、どうするか?会員間でもグループ分けを細かくする必要性を感じました。
(四日市の会)
四日市は全&半壊の家が何軒かありました。コンビナートの火災がなかったのが幸いです。市内のビデオ屋にいた人は、目の前で、雨のように ビデオやDVDがバラバラと落ちまくって、なす術もなかったとのことです。食堂の皿がテーブルから落ちて食品が飛び散ったらしく、アナフィラキシーの子の 場合危険だと思ったとのことです。
会員が少ないのが幸いしてか、全員すぐ連絡もとれ、メールバックもあり、無事でした。一人エレベーターの中にいた人がいて、超揺れたと言ってました。県内ではとじこめられた人もいます。
今回は地震直後は全く携帯の電話が使い物になりませんでした。メールの活用をはじめ、171の活用も考えなければと思いました。地震直後 でもコンビニの公衆電話は生きていました!テレカも捨てずに持っているものだと思いました。でも、本当に大地震のときは、テレカも使えないときがあると聞 き、10円玉は持ち歩いていた方がいいと聞きます。
鈴鹿川の堤防に亀裂が10箇所以上見つかったということで、もう少し規模が大きな地震で決壊したら、備蓄食品も流されてしまわないように、高台に置く方がよいように思いました。
(桑名の会より)
震源地から離れていますし、全会員と連絡はとれ被害はありませんでしたとのことでした。
それぞれの会の中の連絡網のあり方・連絡の方法について考えさせられる報告が多くありました。